広島血統和牛 元就

広島血統和牛 元就 紹介

毛利元就肖像画

中国山地は良質の砂鉄を含む岩石が広く分布し、砂鉄を原料とした日本の伝統的製鉄「たたら製鉄」が盛んに行われてきました。戦国時代には、鉄を原料とする刀や槍など、武器の調達は戦の勝敗を決める極めて重要な要素でした。

1566年に安芸の小豪族であった毛利元就公は尼子氏を降伏させ、中国地方の鉄生産地帯の覇権を支配しました。戦略的に重要視された「たたら製鉄」には大量の木材を必要とし、険しい中国山地で木材を運ぶためには馬よりも足腰の強い牛が積極的に利用されました。さらに、森林伐採の跡地では火入れをして牛の放畜が盛んに行われ、このことが「つる(蔓)牛※」造成の土台を築きあげたのです。(毛利元就画像写真提供先:安芸高田市歴史民俗博物館)※「つる(蔓)牛」というのは、特定の地方に限定して飼養された、血統の結びつきが強い牛群のこと。

       

日本で本格的な和牛生産が始まったのは江戸時代後期。遺伝の仕組みも分からなかった時代に、比和村(現庄原市比和町)の畜産農家、岩倉六右衛門がいち早く品種改良に着手したとされます。以来、多くの人々が改良を重ね、広島和牛は明治から昭和まで「比婆牛」や「神石牛」の名で全国に知られていました。

       

轜車奉引牛

昭和2年、大正天皇が崩御され御大葬の儀が挙行された際には、性質温順、強力持久、外観の美を評価され、広島和牛は轜車(じしゃ)という霊柩車を引く奉引牛に異例の選抜を受けました。また、広島和牛は「和牛のオリンピック」と呼ばれる全国和牛能力共進会において日本一2連覇を達成した実績も持ち合わせています。

   

第4回全共 内閣総理大臣賞受賞牛群

       

元就公の中国地方制覇から始まり、現代和牛のルーツと認められている広島の和牛。こうした由緒正しい「広島血統」を色濃く受け継いだブランドが「元就」です。

広島和牛 元就 認証定義

以下の基準を満たしたものが、広島血統和牛 元就として認定されます。

1.父または母が広島県血統を引き継いでいること。

2.一生を広島県内で育てられたこと。

3.肉質3等級以上、歩留まり等級がB以上であること。

広島和牛認証定義グラフ

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